地中海世界(ちちゅうかいせかい)とは、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸、西アジアのあいだに挟まれた「地中海」沿岸の領域を指す。地理的な領域であるが、この領域は太古より様々な文化や民族の相互交流が絶えず、とりわけ古代から中世初期にかけては一つの独自な文化圏を形成していた。
地中海世界は、北アフリカと、パレスティナ沿岸より小アジア、そしてギリシアと今日の西欧から成り立つ。大きく分ければ、1)北アフリカ、2)パレスティナ・小アジア、3)西欧という三つの領域になる。これらの三つの領域には、太古より文化が存在し、様々な民族が居住し、陸路と海路を伝って互いに文化交流が存在したことが知られる。
先史古代
紀元前6千年紀から5千年紀には、北アフリカには農業生産を主体とする定住文化集落や都市の原型が確認されており、これらを継承して紀元前3千年紀となってエジプト統一帝国(古王国)が成立したとも考えられる。小アジアには、北アフリカと同じぐらいに古い定住文化集落が存在しており、紀元前2千年紀頃にはヒッタイト帝国が成立するが、それ以前にも多数の都市国家が存在した。
西欧領域では、紀元前3千年紀頃より印欧語族の進出が著しくなったが、考古学的資料等からは、印欧語族以前にこの領域には先住民族の文化が存在したことが知られている。その為、例えばギリシアでは、ギリシア人は紀元前2千年紀頃より数度にわたり波状に南下して行ったが、すでに先住民族とその文化が存在しており、この古い文化は古代ギリシア文化のなかに取り込まれた。
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しかし、紀元前2千年紀となると地中海世界では陸路を通じてではなく、むしろ海路を通じての文化的政治的な相互作用が活発となり、エジプトはクレータのミノア文明と交流を行っており、また古代ギリシア人は地中海世界のヴァイキングのような形で、各地に遠征し略奪戦争を行った。その一つはホメーロスがうたった「トロイア戦争」であると考えられる。ただし、トロイエは東西の交流の要衝にあった為、考古学的に、幾度も戦役に見舞われ、都市は破壊され、再度構築されてきたことが確認されている。
古代
海の民の活躍などを含め、紀元前2千年紀半ば以降になると、アフリカにはエジプト新王国が威勢を持ち、小アジアにはヒッタイト帝国が覇権を唱えた。またギリシアでは、古代ギリシア人は植民地を小アジア及びイタリア半島南部に拡散させ、パレスティナ沿岸部では、中小地方国家群が成立して覇権を争った。またフェニキア人は北アフリカからイベリア半島まで植民地を築き、地中海交易で大きな勢力を築いた。
エジプト及びヒッタイトは紀元前1千年紀になると衰退し、ギリシア人及びフェニキア人が海路を通じての交易で勢力を更に伸張させた。その他方、紀元前1千年紀半ば頃にはローマ人の勢力が徐々に拡大して行った。また、この時代においては、イランに起こったアケメネス朝ペルシア帝国の威勢がメソポタミアを征服して地中海沿岸まで進出し、古代ギリシアのポリス連合群はアケメネス朝の進出を阻止しようとして、ここにペルシア戦争が生じ、アケメネス朝は敗退して後退した。
ペルシア戦争の勝利の後のギリシアはしかし、覇権をめぐってポリスのあいだで争いが生じ、アテナイ、スパルタ、コリントスと有力ポリスにより覇権が推移して行った。ギリシアにおいて内部紛争が進行しているあいだに、共和政ローマは勢力を拡大し、イタリア半島を支配下に置くと共に、更に周辺領域へと勢力を展開して行った。この過程で、第一次、第二次のポエニ戦争が起こるが、ローマはこれに勝利し、カルタゴなどのフェニキア人植民地を傘下に収め、北アフリカのマグレブ領域からイベリア半島に渡る領域に勢力を拡大して行った